ロシア皇帝アレクサンドル2世がサンクトペテルブルクで「人民の意志」派のテロリストによって暗殺される。
背景: アレクサンドル2世はロシア帝国の皇帝(在位:1855年-1881年)で、クリミア戦争(1853-1856)の敗北を受けて、大規模な改革を推進した。特に、1861年に農奴解放令を発布し、ロシア社会に大きな変革をもたらした。しかし、改革に反対する貴族層と、より急進的な変革を求める革命勢力の両方から敵視されるようになった。
事件: 1881年3月13日、アレクサンドル2世はサンクトペテルブルクの宮殿を出た後、ナロードニキ(民意主義者)運動の過激派組織「人民の意志」によって暗殺された。最初の爆弾が馬車を襲ったが、皇帝は無傷で脱出。しかし、その直後に別の爆弾が彼の足元で爆発し、致命傷を負った。皇帝は負傷したまま宮殿に運ばれ、その日のうちに死亡した。
影響: アレクサンドル2世の死後、息子アレクサンドル3世が即位し、政治はより保守的な方向へ転換。ナロードニキの活動も厳しく弾圧された。