概要
1633年2月13日、イタリアの天文学者・哲学者ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)は、異端審問の呼び出しに応じ、フィレンツェからローマへ到着した。彼は地動説(コペルニクス説)を支持したことにより、ローマ教皇庁から異端の疑いをかけられていた。
背景
- ガリレオは望遠鏡による天体観測を行い、木星の衛星や金星の満ち欠けを発見し、地動説の証拠とした。
- 1616年、教会は地動説を「聖書に反する」として禁じ、ガリレオにも警告を与えていた。
- 1632年、ガリレオは『天文対話(Dialogue Concerning the Two Chief World Systems)』を出版したが、これが地動説を擁護するものと見なされ、教皇ウルバヌス8世の怒りを買った。
何が起きたか
- 異端審問所からの出頭命令を受けたガリレオは、健康状態が悪化していたものの、ローマへの旅を余儀なくされた。
- ローマ到着後は、トスカーナ大公の大使館に滞在することを許されたが、実質的な監視下に置かれた。
- その後、同年4月から裁判が開始され、6月には有罪判決(終身刑、後に軟禁に減刑)を受け、地動説の放棄(撤回)を誓わされた。
影響
- 「それでも地球は動いている(Eppur si muove)」という有名な言葉(伝説とされる)は、この裁判に関連して語り継がれている。
- 科学的真理と宗教的教義の対立の象徴的な事件となり、長きにわたり教会の汚点とされた。
- 1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、ガリレオ裁判の誤りを認め、公式に謝罪した。