概要
1904年2月8日、大日本帝国海軍がロシア帝国の租借地であった旅順港のロシア艦隊を奇襲攻撃(旅順口攻撃)し、日露戦争の火蓋が切られた。これはアジアの新興国である日本が、当時の欧州の大国ロシアに挑んだ近代戦争の始まりであった。
背景
- 満州・朝鮮の権益争い: 義和団の乱以降、満州を軍事占領し続けるロシアの南下政策と、朝鮮半島(大韓帝国)の安全保障と権益を守りたい日本の対立が決定的なものとなっていた。
- 外交交渉の決裂: 日本は満州と朝鮮の勢力圏を調整する「満韓交換論」などで交渉を試みたが、ロシア側は譲歩せず、交渉は行き詰まった。
- 日英同盟: 1902年に英国との間で日英同盟が締結されており、日本は英国の外交的・経済的支援を背景に開戦を決断した。
何が起きたか
- 1904年2月6日: 日本政府はロシアに対して国交断絶を通告し、外交関係を打ち切った。
- 1904年2月8日夜: 東郷平八郎率いる連合艦隊の駆逐隊が、旅順港外に停泊していたロシア太平洋艦隊に対して夜間魚雷攻撃(旅順口攻撃)を敢行した。これによりロシア戦艦「ツェサレーヴィチ」「レトヴィザン」などに損害を与えた。
- 仁川沖海戦: 同日、朝鮮半島の仁川沖でも日本艦隊とロシア艦隊が交戦し、ロシア艦艇が自沈した。
- 宣戦布告: 軍事行動の開始から2日後の1904年2月10日、日露両国から正式に宣戦布告が行われた。
影響
- 20世紀初の近代戦: 大規模な陸海軍が動員され、機関銃、重砲、無線通信などが本格的に使用される総力戦の様相を呈した。
- 国際情勢への波紋: 後の日本の勝利(ポーツマス条約)は、有色人種国家が白人の大国に勝利した初の事例として、アジアや植民地支配下の諸国の民族主義・独立運動(インド、トルコなど)に大きな刺激を与えた。
- ロシア帝国の動揺: 戦争による経済的負担と軍事的敗北は、ロマノフ王朝の権威を失墜させ、ロシア第一革命(1905年)の引き金の一つとなった。