ビジョンというと、初めはどうしても熱狂や情熱など、どこか現実離れした熱を持ったものや、理想のようなものを想像するかもしれない。ただ、ここでいうビジョンとは、あくまで現実的な統計に基づく現実の姿と、今後の予測の幅の中で取り得る数値が意味することの差分を具体的な事象として思い描く、ということだ。

そしてそれをニュース代わりにするとは、今後2、3年、あるいは10年という単位で仮説を思い描き、その状態のマイルストーンとなる事象に目星をつけた上で、実際に時間が進むたびにデータを集めて、仮説を検証していくということだ。

よくわからなければ、このステップを並び替えればいい。

一つ目は、現在あるデータを集め、現在起きている事象を説明するパターンだ。

例えば、次のような事実としてのデータがある。

  • 世界的に極度の貧困から人々が次々と抜け出し、グローバルマーケットの消費者及び生産者として参加している。
  • 世界的に貧困から抜け出した女性は、一人当たりの子供の数が少なくなる。
  • 世界的に子供の数は約20億人で横ばいになっている。
  • 日本の人口と出生率はともに減少傾向にある。
  • 日本の経済成長率はほぼ横ばいである。

これらを踏まえると、日本において外国人が増加している現象を裏付ける背景が見えてくる。世界的に見て日本は相対的に安価で、かつ働き手を必要としている。そのため、観光客や出稼ぎ労働者が増えることは自然な帰結だ。このようにデータから予測可能なことが実際に起きても、特別な感情の動きは起きない。

もう一つのパターンは、現在起きていることを説明するためにデータを集めるという方法だ。ただ、この方法はごく当然の結果を確認するだけになりがちで、なかなかピンと来ないかもしれない。

だが、同じアプローチを未来の出来事に適用した場合、話は全く違ってくる。

例えば、経済専門家の予測データをもとに、その数値が示す未来の世界を具体的に想像する。これはまさに真の意味での想像力の活用だ。

想像力とは決して、実在しない夢物語やフィクションを描く力だけではない。実際に起こりうるリアリティを伴った世界を空想してこそ、想像力は価値ある力となる。娯楽は、その想像力を鍛える訓練の場とも言える。DisneyやPixarの作品は確かに素晴らしいが、それらを見ただけで身につく想像力は本物ではない。自らの頭で現実の可能性を具体的に思い描くことが重要なのだ。

一方、自分の専門領域において特定の未来像を設定し、その世界が現実になるとしたらどんなデータが表れてくるだろうか、と考えることもできる。ここでも想像力を駆使することになるが、それと同時に正しいデータソースを見極める力も求められる。

そこまでの準備が整ったら、あとはデータが集まるのを待ち、その結果をもとに自分の仮説を検証すればよい。

もはや受動的にニュースを待ち、そこから自分の行動を決定する必要はない。周囲のライバルがどのように動いているかを確認し、それを後追いするという戦略では、決して勝つことはできない。それは合理的なように見えても、実際には他人の動向に操られているに過ぎない。ニュースの発信元があなたの人生を左右する時代は終わりを迎えている。

これこそが人生の極意だ。賢い人たちは長年にわたり、この真髄を繰り返し伝えようと言葉を尽くしてきた。ピーター・ドラッカーが「未来を予測する最善の方法は、それを創造することである」と述べたように、先見性を持ち、自ら未来を形作ることが重要だという思想は、古今東西の賢人たちが強調してきた共通の教えだ。

ゲーム理論における「K2思考」というものを考えてみれば、さらにわかりやすくなるだろう。周囲の人はニュースを見て行動するが、あなたは自分の仮説に基づいて先に行動を起こし、その結果を自分で確認するか、仮説を裏付けたり否定したりするデータを後からニュースで確認することになる。あなたにとってニュースは最終確認のステップだが、他の人にとっては初めての情報収集のステップである。この動き出しの時点で、すでに大きな差がついているのだ。

だからこそ、あなた自身が主体的に「未来のニュース」を作る側に回る必要がある。自分の専門性を活かし、未来を先取りする視点で世界を見通し、周囲より一歩先を行く。このアプローチを習慣化することで、他者がまだ気付いていない未来の兆しを掴むことができる。自ら設定した仮説を追い続け、次々と新しい視点で世界を読み解いていけば、あなたは常に時代をリードする存在になれるだろう。

受動的に待つ時代から、能動的に創造する時代へと踏み出すこと。それが本当の意味で「ビジョン」を持つということなのだ。