体の部位それぞれが独自のある意味での情報処理能力を持っており、張り巡らされた神経を通じて電気信号にて情報をやりとりしているというような感覚、割としっくりくる。 あくまで脳は情報を統合したり、記憶することにみに専念しているだけで、僕らの手や足、目や鼻や口に至るまでが独自に情報を生み出しているととしたら。 それを統合するのはあくまで脳だと言うことに変わりはない。 僕らはこれらの情報を感覚として認識し、統合したのちに、あらゆる手段を使って言語化したり、その他の情報へと置き換えることでその他のこれまた独自の情報処理機関とやりとりする。
上記のようなアイデアをなんと言うかAIに聞いたところ以下のような答えになった
このような考え方は、「身体知」(embodied cognition)または「分散認知」(distributed cognition)に近いものです。
• **身体知(Embodied Cognition)**とは、知性や認知が脳だけではなく身体全体を通じて形成されているという考え方です。人間は身体を使って環境と相互作用することで、情報を処理し、認識や思考を行っているとします。
• **分散認知(Distributed Cognition)**とは、認知が個人の脳の中だけで完結するものではなく、身体のさまざまな部位や外部環境、他者、あるいは道具などに分散しているという考え方です。
また、質問に示された「脳以外の体の各部位にも独自の情報処理能力がある」という仮説的なアイデアは、『身体分散型認知』や『末梢的情報処理仮説』という表現でも説明できます。
哲学や認知科学では特に「エナクティビズム(Enactivism)」という立場で、身体と環境が相互に作用することで認知が成立するという考え方もあります。
今回のアイデアは、これらの認知理論に近い考え方を持っていると言えます。