概要:
ローマ皇帝ネロの師でありストア派の哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカが、ピソの陰謀への関与を疑われ、自殺を命じられて最期を遂げた出来事。静然として死に向かうその態度は、哲学的な殉教として後世に語り継がれた。
背景:
西暦65年4月、皇帝ネロの暗殺を企てた「ピソの陰謀」が発覚した。多くの貴族や騎士が関与しており、セネカもこの陰謀を知りながら報告しなかった、あるいは積極的に関与したとの疑いをかけられた。ネロはかつての師であるセネカに対し、自害を命じる伝令を送った。
何が起きたか:
セネカは別荘で友人たちと食事をしている最中に死刑宣告を受け取った。彼は動揺することなく遺言書を作成しようとしたが、許可されなかったため、「私の生涯の模範を君たちに残す」と友人たちに告げた。 その後、医師の手を借りて血管を切ったが、高齢のため出血が進まず、毒ニンジン(ヘムロック)を飲んだり、蒸し風呂に入って窒息を早めたりするなど、壮絶な最期となった。死の間際まで秘書に口述筆記を続け、哲学的な対話を止めなかったと伝えられる。
影響:
セネカの死は、暴君に対する哲学者の抵抗と、死を恐れないストア派の理想(アパテイア)を体現したものとして称賛された。ルーベンスやダヴィッドなど多くの芸術家が「セネカの死」を題材に絵画を描いている。また、タキトゥスの『年代記』を通じてその詳細が後世に伝えられた。